有難く頂くことはどのようなことなのか、もったいないとは何がそうなのだろうか?食事を作りながらそんなことを思っていては毎日の食卓は続かない。スーパーの棚に背格好を揃え綺麗に整列した野菜、見栄え良くパックに収まった豚バラのスライスやら鳥のささ身。当たり前の風景はその裏で働く誰かのおかげさまでできている、普通の私たちがそのバックヤードに立ち入ることはない。先日調理した合鴨のロースト、最終に至るまでの工程はまさに殺生を実体験し、おかげさまを感じづにはいられない料理になった。決して思い描いた出来栄えではなかったが、おいしくありがたく頂いた。
普通にスーパーで売られている丸鳥かと思いきや、これは合鴨の丸鳥。関東ならどこにでもある有名な肉の専門店で購入2㎏超 @g¥100しない。
買い物の時のイメージはローストチキン、或いは北京ダックであったが、中華の華、北京ダックはそんなんに簡単ではない。分厚い鴨の脂肪を考えると丸鳥のままローストもなー・・・丸1日の解凍時間の後に、思いついたのは分解して其々頂くことだった。だがしかし、のっけから下の写真
大きな水かきもついているし、いつものブロイラーの丸どりとはわけが違う・・・思わずひるんでしまった。インターネットで鳥の捌き方を見たがいとも簡単に処理?していく。見よう見まねで分解は始めたものの、素人が行うとなんとも手荒い仕事になってしまい写真など撮る余裕はなかった。
モモの骨格から身をはぎ取り、何となく見たことのある形になってきた
どーよ、ここまでくれば自分のフィールド、おいしく頂けそうな気がしてくる・・・・でもなんか違う、けして強烈なにおいではないが、手に残る血の匂いと言うか生臭さ、魚のそれもそうだが何とはなく殺生を感じる。誰かが毎日これを行って、そして・・・私は食べているのだと感じずにはいられない。
それでも捌き終わった合鴨のヒレは私の食欲の範疇にいる。なんと罪深き生き物か・・・。
脂肪をたっぷりまとった合鴨のヒレ、皮面に包丁で細かく切れ込みを入れ皮面のみ強めの塩を振り、1時間ほど寝かした後、一旦塩を洗い流し、再度塩コショウを振りかけた。
たっぷりのバターの中でゆっくりソテー・・・先ほどまでの感情はもう日常の中に埋没する。
バターが少なかっただろうか?火が強すぎはしないか・・・煩悩だ。
心は既に・・・パリパリの皮を目指しすぎたか?焼き上がりはウェルダン?もっと優しく焼くべきだったかなー?・・・と
せめてもの贖罪は余すところなくすべてを頂くことだろう。骨の髄まで頂くことを決心する。
子供のころ、えびす講に飼っていた鶏がつぶされた。おやじ様の仕事だった。白い雪の上でそれの首を落とし血抜きし、お湯で羽をむしり丸どりにする。それをおふくろ様が迷いながらも楽しそうに調理する。見ている子供たちも興味津々で・・・あれは食べられる、それは食べたら毒だなどと訳も分からずに台所の作業を見ていた。ガラを炊いてとったスープにたくさんの野菜を入れ家族みんなで食したことを思い出した。貧しかったし、タンパク質はいつもごちそうだった。同年配に話してもいつの時代の話かと訝られるだろうが、そんな田舎に生まれ育った自分は・・・もしかしたら幸運だったのかもしれない。
普通にスーパーで売られている丸鳥かと思いきや、これは合鴨の丸鳥。関東ならどこにでもある有名な肉の専門店で購入2㎏超 @g¥100しない。
買い物の時のイメージはローストチキン、或いは北京ダックであったが、中華の華、北京ダックはそんなんに簡単ではない。分厚い鴨の脂肪を考えると丸鳥のままローストもなー・・・丸1日の解凍時間の後に、思いついたのは分解して其々頂くことだった。だがしかし、のっけから下の写真
大きな水かきもついているし、いつものブロイラーの丸どりとはわけが違う・・・思わずひるんでしまった。インターネットで鳥の捌き方を見たがいとも簡単に処理?していく。見よう見まねで分解は始めたものの、素人が行うとなんとも手荒い仕事になってしまい写真など撮る余裕はなかった。
モモの骨格から身をはぎ取り、何となく見たことのある形になってきた
どーよ、ここまでくれば自分のフィールド、おいしく頂けそうな気がしてくる・・・・でもなんか違う、けして強烈なにおいではないが、手に残る血の匂いと言うか生臭さ、魚のそれもそうだが何とはなく殺生を感じる。誰かが毎日これを行って、そして・・・私は食べているのだと感じずにはいられない。
それでも捌き終わった合鴨のヒレは私の食欲の範疇にいる。なんと罪深き生き物か・・・。
脂肪をたっぷりまとった合鴨のヒレ、皮面に包丁で細かく切れ込みを入れ皮面のみ強めの塩を振り、1時間ほど寝かした後、一旦塩を洗い流し、再度塩コショウを振りかけた。
たっぷりのバターの中でゆっくりソテー・・・先ほどまでの感情はもう日常の中に埋没する。
バターが少なかっただろうか?火が強すぎはしないか・・・煩悩だ。
心は既に・・・パリパリの皮を目指しすぎたか?焼き上がりはウェルダン?もっと優しく焼くべきだったかなー?・・・と
せめてもの贖罪は余すところなくすべてを頂くことだろう。骨の髄まで頂くことを決心する。
子供のころ、えびす講に飼っていた鶏がつぶされた。おやじ様の仕事だった。白い雪の上でそれの首を落とし血抜きし、お湯で羽をむしり丸どりにする。それをおふくろ様が迷いながらも楽しそうに調理する。見ている子供たちも興味津々で・・・あれは食べられる、それは食べたら毒だなどと訳も分からずに台所の作業を見ていた。ガラを炊いてとったスープにたくさんの野菜を入れ家族みんなで食したことを思い出した。貧しかったし、タンパク質はいつもごちそうだった。同年配に話してもいつの時代の話かと訝られるだろうが、そんな田舎に生まれ育った自分は・・・もしかしたら幸運だったのかもしれない。